A-少年A-が出来るまで-8


さわさわ………。
ちきちきちきちき………。
どぅんどどん…………。
さぁぁぁ…………。
ちゃぽん…………。
ぴちゃん…………。


………んん゛。
再び目を開けた俺の目に映るのは、濃緑色の葉々が互いにその身を擦らせている姿だった。
光は、太陽光は全く無く、ただ月明かりが、木々の間から漏れ溢れ落ちているだけだ。
木そのものも、ゆっくりと脈動をし、まるで遥か遠くに響く祭囃子の太鼓のような、重々しい生命の音を響かせている。
水音。
葉の表面に溜った雫が、水溜まりに落ちている。その水は地に吸い込まれ、栄養を蓄えながら根を目指すのだろう。
ちきちきちきと、虫の声。
機械の音が全く聞こえない、まさに田舎の山ならではの音空間が出来上がっていた………。
…………。


「………じゃねぇっ!」


ムンチャの野郎!いきなり俺に当て身打ちやがって!しかも森の中に完全放置かよ!遭難してのたれ死んだら化けて憑いてやる!そして生きて会ったら低速同時を発狂版で食らわしてやる………!
…………。
っはぁ。
誰もいない場所で一人怒るのも馬鹿馬鹿しい。兎に角、この場にいてもしょうがない。下山の糸口を探さないとな。
お、そういや登山靴は――と。あぁあったあった。デジカメを入れた袋に入れておいたな。
「………………」
………よし。後はこの靴を袋に入れて――。


月明かりは、周りを見通すにはあまりにも頼りない。しかもここは森だ。木々から漏れる光は微々たるものである。
「…………っつっ」
手に走る痛みに、俺は顔をしかめた。視覚が頼りにならない以上、他の感覚もフル稼働させて進んでいた俺。木に手をついて歩いていたら、表皮の微妙に捲れ上がった部分に触れてしまったらしい。
手にねっとりとした水分の感触。ハンカチで軽く拭うと、月明かりでその色を確認した。
「………くそ」
こうなると分かってりゃ消毒液を玄武辺りに借りようとする考えも持てたんだろうが………まぁ、脚が傷付いて無いだけマシか。


暫く歩いていると、森の様子が少しは余裕を持って見られるようになった。
蛍光色を持つ菌糸類が、木の表面に張り付いて、仄かに明滅している。それが幾つも見える様は、まるでそちらの方向へと進むよう誘導されているかのように見るものを錯覚させる。
足元は、地肌が所々見えるとはいえ、大半の地面は木の根が複雑に絡み合って出来たものだった。通りで細かい上下動が多く、脚が時たまぴくぴくするわけだ。
辺りに立ち込める、土と木と――森の香り。幽かに湿っぽいのは、夜露が降りているからだろうか。
そして――風の音と俺の足音以外、音はほとんど何もしない。このまま、どこまでも遠くの音すら聞こえてしまいそうな――。


「………?」


One bright monday morning I overslept,the world ended…………


歌声。
それも、極限まで研きあげられた水晶のようなものでなく、あるいは乱れに乱れた重機のようなものでもなく――歌声のイデアのようなもの。
綺麗だった。
今直ぐにでも、誰が歌うのかをこの目にしたかった。
ふらり、ふらりと徐々に近付いていく俺。耳を澄ませて、方向を探りながら――。


「!!!!!!!!!!!!!!」


な、何だこの感覚は!
気配だけで全身が吹き飛びそうになるような!そのままこの場にいたら押し潰されてしまいそうな――!
や、ヤベェ!こんな感覚はマジヤンギレした冥と嘆き嬢の近くに居合わせた時以来だ!いや!下手したら――それ以上か?
『この山には怪物がいて――』
気絶する前のムンチャの声が、頭の中に蘇る。
『そいつは綺麗な歌声をしていて――』
俺が聞いた歌声は、あまりにも綺麗すぎて――そして今感じる気配はヤバすぎて――。


『もし気配を感じたら、気配のしない方向へと全力で――


走れ!』


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
意識の中のムンチャの声がピストルのように鳴り響いた瞬間、俺は撥ね飛ばされたように走り出した。
虚空に向かって。


――――


「ぁぁぁぁっ!ぁぁぁっぁっぁっぁぁぁぁっ!」
俺はただ無我夢中で走り続けた。表情は分からないが、多分これでもかと言うほどに必死な形相をしているだろう。もしかしたら、瞳の端には涙が浮かんでいるかもしれない。


Don't be
light and dark
night and day
smile and cry…………


'怪物'の歌声は、徐々にこちらに迫ってくる。歌詞は聞き取れない。いや、聞き取る余裕など、今の俺には無いのだ。
「くそぉっ!どうして!どうして俺を追って来るんだよぉっ!どうしてこんなに必死に走ってんのに、差が開かねぇんだよぉっ!」
自慢じゃないが俺のBPMは本気を出せば186だ。他の高速曲には劣るが、それでも速い方には入る――筈だ。
足場が悪い所為もあるかもしれないが、それは相手も同じ――筈。仮定しか働かないが、それでも今の俺には十分理解できた事。
――逃げなきゃ、ヤバイ。


You And Me!!


「ぁぁはあぁあっ!ひぁあっ!ぁああっ!ぁはぁぁっ!あ゛あ゛っ!…………」
あまりにも惨めな、狂ったようにしか思えない叫び声を挙げながら、俺はただひたすらに、俺に近付く気配から逃れようと逃げて走って走っていた。途中で何度も転び、その度に立ち上がって走っていた。
「っあ゛あ゛あ゛っ!あ゛あ゛あ゛っ!」
喉が潰れ、声が枯れてもなお俺はひたすらに叫びながら手足を動かしていた。逃げるように。ただ逃げるように。
「っゎあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっ…………」
いつの間にか俺は、少年のように泣き出していた。恐怖を、少しでも外に出そうとするかのように――最早その意識すら無かった。
次第に俺は、自分が何故逃げているのか、どこかあやふやになっていった。怖くて逃げていたが、一体何が怖いのか、次第に頭の中から抜け落ちていくような感じがした。ただ、心が叫んでいた。逃げろ………と。
――だが、そんな状況もやがて終りを告げる。


「――!?」


足元で複雑に絡み合った草、そこに疲れで下がっていた足が取られ、そして――!


「――があ゛っ――」


――転倒。頭を強かぶつけた俺は、そのまま意識を吹き飛ばした。


――歌は、いつの間にか聞こえなくなっていた――。


【幕間】


「――どこ行ったのかしら………」
『近頃、魔物が倒されたらしいよ。トメ爺さんが言うには、それが僕等がやったんじゃないのかって疑ってたけど、明らかに僕じゃないし、リトプレでもないよね?じゃあ誰なのかな?って言う話で。
だからリトプレには、その正体を突き止めて、連れて来て欲しいんだ、ってわけ。――え?もし魔物が出たら不安?やだなぁ。僕等のLvを考えようよ。倒せるか否かより、目をくらましてから逃げる方に力を使えば良いじゃん。
ま、話が真実だとして、魔物を倒すくらいだから、力は強いのかもしれないけど、全く理性が無い、って理由でもなさそうだし。
目印?歌声を探せ、だそうだよ。じゃ、検討よろしく〜。Aの方は僕が何とかするから、さ』
出かける直前にムンチャ兄さんが言っていた通り、歌声は山の中によく響いていた。私達がよく知っている、魔物の歌だ。ただ――それは私達が知っている歌声じゃなくて………むしろ――。
「――引き付けるわけでも、遠のかせるわけでもない。ただこの場に止まらせる類の歌声ね………」


…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………


Aさんの声が響いた。彼のBPMは184あるらしいから………仮に魔物だとしても、容易に逃げ切れる。
「――………」
私も覚悟を決めなくちゃ、そう思い直して、私は声の主へと近付いていった………。


「Larlalalalalar……Larlalalalalar……」


「――え?」
歌の主の正体を見たとき、私は驚きのあまり固まってしまった。


子供だった。
薄いボロ布を纏った、ショートヘアーの、少年とも少女ともつかない外見を持つ――子供。それが森の中を歩きながら、歌っていたのだ。
魔物の歌を。


「………一先ず近付いてみないと………」
夜の森は暗い。私は懐中電灯を周りに当てながら、その子供へと近付いて――!!!!!!!!


「!!!!!!!!!!」


突然、子供の中から、異様な気配がした!感じるものを悉く脅えさせ、そして逃げる足さえ奪ってしまいそうな――強烈なオーラ。
「――これは………!」
ふと、子供の後ろに、巨大な生物が現れた!魔物だ!子供の中から感じたと思った気配は、まさかこの――!
「逃げてぇっ!」
とっさに子供を守ろうとギターEXTをセットし、子供の前に立とうとした私は、次の瞬間、


とても信じられない風景を目にした。


「――――!!!!!!!!!」


子供が、何かを唱えた瞬間――


ドガガガガガガガガガガガガガガガガッ!


突然、大量の色とりどりのポップ君が虚空から現れ、流星の如く魔物に降り注いだのだ!
ポップ君がぶつかって割れる度に、強烈な光と、激しいドラム、そして――家で聴き慣れた、あのピアノの音が溢れ出した!
色と音の奔流――!
魔物の声すらそれらは掻き消し――!


タ―――ン………


「――――」
私は、ただ口を開けて眺めることしか出来なかった。
ポップ君が振り止んだとき、そこに魔物の姿は無かった。
目の前の子が、魔物を一瞬で倒してしまった………。


依然硬直している私に向かって、その子供は――


パタン。


「――え?」
頭から倒れこんだ。しかも、いつの間にかへたり込んでいた私の、膝の上に。
「………くー………」
先程まで起きていたのが嘘のように、その子供は眠ってしまっていた。顔には、心底安心した、子猫のような顔。
「…………」
………私はどうしよう。
この子がムンチャ兄さんの言っていた子であることは間違い無い。しかもさっきの音――。
「…………よし」
私は、寝ているこの子を胸に抱いて、山を下り始めた…………。


【幕間、了】


――――――――――――――


もり。
みず。
むし。
とり。
うた。
おと。
くろ。
しろ。
かげ。


ひかり。
ほたる。


ほたるのひかり。


――――――――――――


ぽちゃん………。
――水音。
ぽちゃん、ぽちゃん………。
――一つ、二つ………。
………冷たい。背中が。
………さわさわする。腕が。
………体の、特に脚と背中が痛む………。
…………。
…………ん?
俺は今………一体どこに………?


「辿り着いたみたいだね」


聞き慣れた、小憎たらしい声。だが、その声すら、まだ俺にはどこかぼんやりして聞こえていた。
「懐かしいな。あの時みんなとはぐれた僕も、ただ無我夢中で逃げて、逃げて、あちこちに体をぶつけて、つまづいて転んで――気が付けばこの場所にいたんだ」
歌うように自分の過去を話すムンチャ………だが、その話はどこか頭に引っ掛かる………。
――次第に俺の意識がはっきりしてきた。と同時に、これまでの転末も思い出してきて………!
「ほら、目を醒ましなよ。僕等がいるべきなのは、ただの闇の中じゃないよ」
――言われなくとも………!


「起きるわボケがァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


「ってちょ高速階段に皿乱打含めたデニムはやめギャアアアアアアアアアアアアアッ!」
山に置き去りにされた経過と、山で味わった表現不可能な恐怖。そして少しのうさ晴らしの意味も込めて放った大量のオブジェは、見事ムンチャの全身にぶち当たり、ムンチャは大きく吹っ飛んでいった。さらに追撃をしようと俺は身構え――。


「………あ………」


――そして、心奪われた。


俺の目の前には、そこだけ大きく切り取られたような、鏡のような湖があった。湖の回りには、草が青々と――整然と生えていて、まるで誰かが手を加えたような、人工と自然の入り混じる、不思議な空間を作り出していた。
静泌とした、美しさ――。
風のない湖を蛍は飛ぶ。飛んでいく。増えては消え、消えては増え、光りながら飛んでいく。
一部は花の中に止まっていた。内側から光る様はまるでガス灯のよう。